なぜ政治学を学ぶのかについての私的メモ

 砂原庸介さんがご自身のブログにおいて「なぜ政治学を学ぶのか」というエントリを書かれている.それにあおられる形でなんか書きたい衝動に駆られてしまった.砂原さんの記事に別に異論があるわけじゃないのだが,一方であれを読んで政治学を勉強する気になる学生が出るとも正直思い難いなと感じたこともある.まあ自分がこれから書くものを高校生や大学生が読んで,「政治学面白そう,勉強してみよう」と思ってもらえるかどうかについては自信がないが^^;;.
 政治学ってどんな学問ですかと人から聞かれて自分が一言で答えるなら,それは「政治権力」について考える学問ということになるかと思う.権力一般の理論は社会学にも研究蓄積がたくさんあるわけだけれど,政治権力,ラフに言うと政府が行使する権力とそこから派生する権力現象についてできるだけきちんと考えたいと思ったのが,政治学について学ぼうとする自分の動機だった.高校生の自分が漠然と抱いていた権力のイメージは,何かを強いてくるもの.守りたくないルールを強いてくる,とか.それは学校でも家庭でもあって,その部分は政治学の対象ではなく社会学の対象になっている.自分がより狭い「政治権力」に関心を持ったのは,やはり冷戦の産物だろうと思う.そういう意味では世代的なもので,冷戦を知らない世代とは事情が異なっているのだろう.
 1980年代前半に高校生だった自分にとって,核戦争の脅威というのはアクチュアルなものだった.同級生たちがどう思っていたかはわからないけれど,どんなにまじめに努力したって核戦争が始まったら終わり,そう思って生きていた.核戦争が行われる意思決定に自分が関与することはまずありえない.自分のあずかり知らぬところで自分の運命が決められてしまうことが心外だった.なのでせめて,核のボタンを握っている国やその国のエリートの考え,国際政治の力学みたいなものを知っておかないと自分が社会でどうふるまえばいいのかわからない気がしていた.そういうことがどこで学べるのかと思っていた時に,筑波大学に国際関係学類というものができたことを知って受験を決めた.そのニュースがなかったら,地元の国立大学を受けていたことだろう.
 なので国際政治のテキストは結構熱心に読んだ.大学の講義が始まる前に猪口孝『国際政治経済の構図』

国際政治経済の構図―戦争と通商にみる覇権盛衰の軌跡 (有斐閣新書)

国際政治経済の構図―戦争と通商にみる覇権盛衰の軌跡 (有斐閣新書)

を読み,佐藤英夫先生が開講していた「国際関係概論」のテキストだったWorld Politics
World Politics: The Menu for Choice.

World Politics: The Menu for Choice.

を読み,ブルース・ラセットの『安全保障のジレンマ』
安全保障のジレンマ―核抑止・軍拡競争・軍備管理をめぐって (有斐閣選書R (22))

安全保障のジレンマ―核抑止・軍拡競争・軍備管理をめぐって (有斐閣選書R (22))

を読んだ.
 国際政治学は興味深かったけれど,勉強すればするほど自分には関与の余地のない遠いもののように感じた.周囲には外交官になろうという学生もいたけれど,自分に適性があるとも思えなかったし,政治家になって世の中を動かそうという思いもわかなかった.自分は無名の一市民として人生を全うするだろうと思っていたので,無名の一市民としての政治関与のありかたについて次第に興味が移っていった.今自分が学生だったらNGONPO論のようなものにはまる資質を持っていたかもしれない.いずれにしてもある時点から国際のとれた「政治学」に関心が移った.だれが権力者なのか,権力とはどういうものなのか,どのように生まれ,どのように行使され,それが何を生むのか.そういう力に一市民がどう対峙していけばいいのか,それを知りたくて政治学を勉強した.
 どんな人間の集団にもいつの時代にも政治と権力行使があり,不本意な立場を強いられる人間が存在する.それを表すための言葉が政治学の中にはあると思い,それを学ぶことが楽しかった.日本の政治について学べば,当然にどのような政党があり,どのような支持基盤を持ち,どのような利益を代表しようとしているかを学ぶ.その学習を通じて日本社会における自分の居場所を探そうとしていたのが自分の学生時代だった.
 社会科学を学ぶということは,社会を見るための概念枠組を手に入れること,簡単かつ乱暴に言ってしまえば社会を見る目を養うことだと思っている.社会知らずの社会科学者はいるかもしれない.理屈より経験が大事だという人もいるだろう.でも我々は誰も社会の限られた一部しか経験することができない.われわれの人生は有限で,われわれの処理できる情報も有限だ.経験を受けとめる為の概念枠組は誰もが持っているものだろうけれど,それを洗練させる方がより賢明な選択ができるのではないか.いろいろな時代のいろいろな国の政治を共通の概念で把握することで,異なる時代や異なる国の経験をより受容しやすくなるのではないか.そう思っていたので,政治学の専門用語を学ぶことはさほど苦痛に感じなかった.
 政治学を学ぶことでよい職につけるとか,給料がよくなるとかいうことはないだろう.政治学を学ばずに政治家になる人も多い.その意味で政治学は実用的ではないかもしれない.でも自分にとっては社会に自分が入る前に社会を観察するための窓が必要で,その窓として政治学を選んだ.違う窓を選ぶ人も多い.経済学だったり,社会学だったり,哲学かもしれない.自分にとっては政治学だった.それは社会やそこにいる大人から理不尽を押し付けられた場合,自分がどう振る舞えばいいかという知恵を得たいと思ったためでもあった.そこから得られたものは今の自分を支えてくれていると思っている.