有権者は戦略的に行動するアクターではない?

 遅ればせながら政治学会ネタを少々.懇親会のとき敬愛するある方(仮にTさんとしよう)がつかつかと寄ってきて,「山田さん,ブログで僕の悪口書いたでしょ」とおっしゃる.え,私が敬愛するTさんの悪口なんてそんな?と考えているうちに思い出したのは,8月13日のこれ
 「以前ある同業者の方が,『自分は官僚制と議員は扱うが有権者は扱わない.官僚と議員は政治の主体だが,有権者は基本的に政治の主体ではなく,客体だから』と言う趣旨の発言をしていたことを思い出す」
というヤツ.いやーん,見てたのね.注で「つっこまないで」って書いといたのに.
 懇親会でのTさんのお言葉をまたうろ覚えでまとめると,もともとのご発言の意図は,自分は戦略的な政治行動を分析の対象にしているので,有権者は戦略的行動の主体にはなりにくいと判断しているので,自分の分析の対象から外れてしまうのである,ということで,お前の書き方はそれを十分に伝えていないというご批判であったやに記憶している(誤解してたらまたご指摘ください>Tさん).
 元記事を読み返してみると,杉田先生の話のあとに上述の文句を出しているので,これは自分に対するいやみであるとTさんが判断されてしまったのかもしれない.ああ,そんなつもりは毛頭なかったのだが,そうとられてしまったのだとしたら私の不徳のいたすところであり,私のTさんに対する愛情表現のいたらなさかもしれない.
 それはともかく,有権者は戦略的に行動しないのだろうか?とある研究会で現行の選挙制度の下での戦略投票なんて報告があったときに,「そんな有権者はサーヴェイ・データで見る限り存在しない」という突込みがあったことを思い出す.
 でも最新のAPSRに載っているSusan Stokesの論文はマシーンと一般有権者の戦略的行動の話で,これは結構後援会なんかにも応用が利きそうな気もする.もちろんすべての有権者がそんな人ばっかりではないのだが,でも政治を動かすのはそうやって戦略的に動く有権者ではないか,という気もする.
 まあ,またこれを期にTさんのご教示をこわねば.それともいよいよ見捨てられるか?