『不平等社会日本』もしくは「僕はブッシュを嗤えない」

不平等社会日本―さよなら総中流 (中公新書)

不平等社会日本―さよなら総中流 (中公新書)

とりあえず読了というか,まだ読んでなかったことがちょっと恥ずかしいのだが.もうこの本が出て5年もたつんだなあ.手元にあるのは2003年の17刷目.いやいやウラヤマシイ.
 本書は非常に魅力的な本である.今はやりの表現をするならsexyである.たとえばこんな1節に私はシビレる.

 「私は未来を予言するつもりもないし,自分の正しさを布教する気もない.素描はあくまでもたたき台だが,あえてそれをやるのは,暗い顔をしてなげやりになったり,ことさらに危機を煽りたてるのをみるのに,いささか飽きたからである.(中略)もちろん日本の経済状態が良くなれば,あるいはたんにアメリカ経済の1人勝ちに翳りが出ただけでも,昨日まで深刻ぶっていた人々はまた陽気に騒ぎだすだろう.だが.むしろ,そういう安っぽい自尊と自卑に私はもう飽きたのだ」(pp.13-4).

 議論の明快さ,データのプレゼン手法などなど非常に参考になる.あとがきによれば佐藤さんのお父さんも電電公社だったということで,その点でも親しみがわいた(しかし佐藤さんは中高一貫私立.私のほうは親から常に「上の学校行きたきゃ,うちは貧乏なんだから公立以外ダメ」と言われて育ち,勤務先以外の私立学校を知らない点と出身大学では異なるが).
 しかしこの本,薄くて軽い割りにテーマが重い.「努力すればナントカなる」社会は終わり,今や「努力してもしかたない」社会だというのだから.この本を学生さんに推薦する気になる教員はあまりいないだろう.目の前の学生にディスインセンティブを与えるようなものだからだ.
 もちろん本書の主張に対する批判は出ている.手っ取り早いレビューは盛山和夫による批判とそれに対する佐藤自身のリプライを載せた

論争・中流崩壊 (中公新書ラクレ)

論争・中流崩壊 (中公新書ラクレ)

であろうか.また
機会と結果の不平等―世代間移動と所得・資産格差 (MINERVA社会学叢書)

機会と結果の不平等―世代間移動と所得・資産格差 (MINERVA社会学叢書)

も,「日本社会は,世代間移動をとおした階層再生産によって,地位の世代間固定化と階層分化が進んでいる“不平等社会”ではない」(p.221)と主張しており,佐藤の主張とは対立している.現在SSMの最新調査は進行中で,そのアウトプットによってこの論争にまた新たな材料が提示されることを楽しみに待っている.それを待つ間,
封印される不平等

封印される不平等

も読んでおくこととしたい.
 この本の主張の真偽はともかく,しかし学生たちを見ているとこの本の主張に比較的忠実に行動しているように見えることがある.つまり学力競争から降りるポイントが,我々の頃より早まっているような気がするのである.
 学生の学力低下が問題になる昨今だが,教えていて感じるのは(体感という名の偏見に過ぎないかもしれないが),全般的な低落であるよりもむしろ2極化で下の極の比重が増しているということである.上の方の答案のレベルは落ちているように思えないが,下のレベルの答案は誤字脱字,てにをはの誤用などほとんど日本語の態をなしていないようなものが出てくるが,その頻度が増えたように思える.そういう層はかなり早期に勉学から撤退し,もちろん教科書など買わず,いかに低い労力で単位を獲得し,卒業するかを目指している.そういう学生に対して「大学での勉学が社会におけるあなた自身のsurvivabilityを向上させますよ」という説得ないし啓蒙に成功しないと,彼らは我々に注意を向けてくれない*1

 

不平等社会日本―さよなら総中流 (中公新書)

不平等社会日本―さよなら総中流 (中公新書)

のもう1つ悩ましいというか痛い点*2は,知識エリートの再生産の問題である.知識エリートをこの本は「W雇上」(ホワイトカラー雇用上層=専門職と管理職の被雇用,40歳時点での職業)として操作化している.その上で日本が,知識エリートの家に生まれないと,知識エリートになりがたい社会として描かれる.
 たとえば私は2年間アメリカで在外研究の期間を得た.その際,学齢期の子供も連れていった.結果として子供たちは英語を習得し,日本での学力競争におけるアドヴァンテージを手にしている.これはもちろん本人の努力の賜物でもある.しかし父親の仕事による外部経済という部分を否定できない.同じような経験を持つ研究者の子弟が,日本で生まれ日本の教育しか受けて来なければ入ることが相対的に難しい*3海外の大学にどんどん留学し,自分のキャリアを研究職に求めている.その結果,地位の再生産が起こる.我々政治学者は政治家の家業化を「2世議員」として指摘するけれど,その政治学者の2世比率も上昇傾向にあるように思われる.

 マイケル・ムーアはG・W・ブッシュ現アメリカ大統領を,オヤジのコネでエール大学に入ったバカ息子とこき下ろす.

アホでマヌケなアメリカ白人

アホでマヌケなアメリカ白人

おい、ブッシュ、世界を返せ!

おい、ブッシュ、世界を返せ!

しかしブッシュは彼の父親がなし得なかった再選を果たし,父親以上のリーダーシップを発揮している.そしてそれを信仰と結びつけることでキリスト教右派からの支持を強固にしている.
キリスト教帝国アメリカ―ブッシュの神学とネオコン、宗教右派

キリスト教帝国アメリカ―ブッシュの神学とネオコン、宗教右派

彼はある意味で父親を超えた存在になったのである.ブッシュは本当にバカか?だとしてもさらにバカなヤツが他にいくらでもいるんじゃないの?

 佐藤さんの『不平等社会日本』がステキだと思う箇所として,他にもこんな1節がある.
 「要するに,私はただ,成功といえる成果をあげたすべての人が,胸をはって,『自分の実績だ』といえる社会でありたいだけだ.生まれによる差がそのまま一人一人の実績につながるならば,それは正当な競争ではない.ただの出来レースである.出来レースで勝っても,嬉しくないし,誇りにも思えない.」(p.175)
 「出来レースでなくするためには,社会のしくみの上で,個人個人の力のおよぶこと/およばないことをできるだけ正しく区別する必要がある.そして,本人の力によらない有利不利や幸福不幸を解消するのが不可能ならば,それを補償するしくみを維持し,格差の拡大再生産をできるだけ防ぐ」(P.176)

 私の脳裏に初めて佐藤俊樹という名を強烈に印象付けたのはやはり1993年に出版されたこの本

近代・組織・資本主義―日本と西欧における近代の地平

近代・組織・資本主義―日本と西欧における近代の地平

である.今やamazonで画像さえも出ないけれど,この本のインパクトは強烈だった.今でもよく講義のネタとして参照している.この本や次作などを読んで,理解社会学をベースにきわめて洗練された議論をする非常に頭のいい研究者だと思っていた.その佐藤さんがSSMにも参加し,このように計量の結果をうまく提示するような著作を見せられると「やっぱ,頭の出来が違うのね」とため息を禁じえない.「努力すればナントカなる」のか,「努力してもしかたない」のかはここでも深刻な問題だけれど(そして今の私はやや悲観的だけれど),なれるものなら彼みたいな研究者になりたいなあ.もう少しあきらめずに頑張ってみよっか.

*1:個人的には役に立たない勉強というものはないと思っている.スポーツはどんなスポーツでも体を鍛えてくれる.学問も同じことだと私は思う.

*2:これはほめ言葉です,念のため.

*3:無論その困難を乗り越える人もいる.