一応読了.

不安の正体!

不安の正体!

これも今頃読んでるようじゃ,ということなのだが.それぞれタフな4人の論客による討論で,結構読むのにも時間がかかった.
 どうでもいいといえばいいことだが,藤原さんって元ブントhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%B3%E3%83%88だったのね(pp.112-3).思わずへぇボタンを叩いてしまった.
 個人的にはpp.332-337の議論に魅かれる.あと藤原さんのこんな議論も.

「だとすると,戦争の議論は,結局,誰の立場に立つのかという問題だけでは解決できないと思います.犠牲者の視点に目を置けば正しい解決が出てくるとは僕はまったく思わない.*1犠牲者の視点に目を置くということは,ただ新しい復讐を生み出す可能性があるわけで,問題はそこでどのような権力の制度を作るかということでしょう.権力をどのように,お互いを制圧する制度を作るのかという問題なんです.これがいちばん難しい」(p.341)

 さらに宮台さんのこんな議論も好きである.
「犬の人権や,猫を仲間とする公共性を考えるやつは(滅多に)いない.問題は,黒人を犬だと思ったり,ムスリムを猫だと思う連中がいることだ.」(p.355)

 哀しいかな人間の多くは身近なペットの死を,見知らぬ国において誤爆で殺される見知らぬ人間の死よりも悲しむものである.そういう人間に「想像力の問題」と批判を向けることは可能だけれど,そんな批判が力を持つことはあまりない.往々にして発言する人間が,自分の倫理的優越を確認するために使うだけの言葉になってしまいがちだ.

 イタイのはこんな宮台氏の言葉である.
「相変わらず,自らが乗っかる巨大な前提を等閑視しつつ学問ゲームに明け暮れるフリーライダーが跋扈する昨今」(p.398)
 自分がこれに該当しているかもしれないというのは苦い自問だけれど,良薬は苦いものと決まっている.ただ,向き不向き,適材適所ということもありますからね.世論に訴える活動をしなくても学術的議論を前に進めることで,世論に訴えようとする人に知的リソースを提供する研究者というのは存在すると思うし.

 首をひねるのはやはり宮台氏の次の議論.
「因みに日本の政治学者は小選挙区制を導入すれば二大政党制が実現すると嘘を振りまいた.ありえないと私は主張してきた.なぜか.とりわけ田中角栄以降の自民党政治は古典左翼的だから.実際,政治的再配分を要求する地域の弱者が社会党を頼るのは自殺行為だ.」(p.394)

 小選挙区制を導入すれば二大政党制が実現すると嘘を振りまいた日本の政治学者って誰?それはともかく,衆議院選挙の有効政党数を見れば,多少の変動はあれど,2に近づいてきてはいる.完全な二大政党制には公明党の存在もあってなっていないが,それに近づいてきてはいるのである.

 8日の参院郵政民営化法案が否決されて解散になったら話を聞きたいと,私のようなヘッポコ政治学者のところにも依頼が来ている.今回の選挙前に自民党が親小泉勢力と反小泉勢力に分裂するとしたら,有効政党数はまた増えるかも.増加した有効政党数が維持されるためには,地域的な亀裂(都市VS農村といったような)が政党支持に結びつかなければならないだろうと予想している.もしそうでなければ,有効政党数はまた2に近づいては行くだろう,とも.ただそれが二大政党制になるかどうかはわからない.公明党がピボタル・パーティになるかもしれないし.

*1:強調はmyamadakgによる