長い夜

 Chicagoといえば、って感じですか。いや実際日本から来ると夜、なかなか寝付けないですよね。
 こちらにくる機内でこちらの

著者である堀内さんと奇遇にもご一緒し、ついでに空港からホテルまでのシャトルさらにはランチもご一緒させていただきました(カキが美味かった!)。その間いろいろなことをお話しましたが、彼からいわゆる「バッファー・プレイヤー」についての話題が出され*1、外国について似たような研究があるかという質問がされました。私はそういうものがあるということは知らないのでそう答えましたが、そこからいろいろと議論が盛り上がりました。
 基本的にアメリカで発達している投票行動理論の主流は、投票する人が投票先に当選してもらいたいということが前提となっています。「バッファー・プレイヤー」の前提はハードルがそれよりもかなり高く、投票者が単に自分の選挙区での競争状況を把握しているだけではなくて、その集計結果としての政党間の議席配分まで視野に入れていることが求められます。Aという政党には勝たせて政権をとってもらいたいが、大勝してほしくないという投票者が「バッファー・プレイヤー」であるわけです。ただ実際にそのような有権者が本当にいるのか、いたのかについては懐疑的な論者もいます。
 オーソドックスな投票行動理論は有権者にそこまでの認知を要求しません。全国的な議席配分についても、投票政党にはできるだけたくさん議席をとってもらい、政権をとってもらいたいということが基本的な前提でしょう。
 しかし、投票者の中にはそこまでsincereではない人も一定数いるのではないかという見方は自然に生まれます。いわゆる批判票は必ずしも投票先に対してその大勝利を願うからではなく、敗北を前提に、しかし勝利する候補者や政党を牽制するための手段として1票を使うからでしょう。「バッファー・プレイヤー」の中国語訳が「牽制的投票者」であるのは納得がいきます。そして投票行動理論の中にも、極端な政策を打ち出す政党に対して、政策やイデオロギー的な近接性(proximity)
で説明しようとすると無理のあるような行動を説明する理論として「方向性理論」(directional voting)があります*2
 日本の文脈で言えば、自民党を牽制するために投票すべきは民主党なのか、それ以外の政党なのか、と考えて有権者が投票する際に、この「方向性理論」の有用性が増すと思われます。Kedar, Orit. 2005. “When Moderate Voters Prefer Extreme Parties: Policy Balancing in Parliamentary Elections.”American Political Science Review, 99(2): 185-199は直接にバッファー・プレイヤーを扱った論文ではないですが、牽制的な投票行動研究の論文ではあるように思います。
 堀内さんとの議論はこれに関連してもいろいろとあったのですが、そろそろ学会に出かけるのでまたの機会に。

*1:「バッファープレイヤーについてはご存じない方はとりあえず

戦後政治の軌跡―自民党システムの形成と変容

戦後政治の軌跡―自民党システムの形成と変容

*2:理論書としては

A Unified Theory of Voting: Directional and Proximity Spatial Models

A Unified Theory of Voting: Directional and Proximity Spatial Models