フィールド・ワークと方法論:どこも大変そうですなあ

 ゼミのフィールド・トリップで国立民族学博物館にいってまいりました.ついでの博物館内の売店

性の文脈 (くらしの文化人類学)

性の文脈 (くらしの文化人類学)

をゲット.面白そうです.内容もさることながら気になったのはこの点.

 「いまの段階では現地調査による性研究は、断片的な、わずかなデータをもとにして推測に推測を重ねるような過度な理論化をするよりも、記述中心の事例研究を積み上げていくほうが有益だと私は考えている。『事例の羅列にすぎない、理論が欠けている』という批判があったとしても、馬耳東風で聞き流せばよい。その理由は、単純に、わたしたちがまだ多くの事例を知らないからである。」(p.8)

 「そんなKKVみたいなこと言ってもさぁー」なんて話がありましたっけね>comparaさん.

 それはともかく,従属変数についてのsubstantiveな知識がないと,独立変数を適切に選択することもできないのは当然ですね.Christpher H. Achenの論文"Toward A New Political Methodology: Microfoundation and ART", Annual Review of Political Science 2002, 5:423-50は,「独立変数は3つまでにしろ.それより多ければ統計的推定は無意味だ」と主張して,これを"A Rule of Three"略してARTと表現していますが,実際分析を行う者にとってこれはかなりのハードルです.従属変数に影響を与えると思われる要因はたくさんありえ,これを3つに絞り込むためには,自分が何を実証しようとしているかについてかなりの絞込みをしなければなりません.つまり,データ収集や事例選択の段階で理論の知識と,従属変数についてのsubstantiveな知識をそれぞれかなり持っている必要があるでしょう.
 このようなsubstantiveな知識が,上記で紹介した松園(2003)のようなモノグラフの蓄積によって与えられることもあるでしょう.その意味でKKV的な「理論→仮説→検証」的な研究とエスノグラフィ的な研究は決して対立的なものではないと個人的には思うのですが,実際にはKKV的な研究(レヴァイアサン・グループ?)がそうでない研究を「非科学的,没理論的」と批判することによって自分たちの研究の優越性を主張してきた関係上,双方のアプローチの間に現在実りある対話を成り立たせることが難しくなっていないかという不安があります.
 また,モノグラフを積み上げただけでそこから理論化が進行するかというとそうではないでしょう.理論化を行うためにはやはりそれなりのトレーニングが必要でしょう((理論化のためのトレーニングということで言えば規範理論についてもやはりそれにふさわしいトレーニングがあるのではないかと推測しています.わたしはそのような素養を欠いているのでよくはわかりませんが.)).今でしたら数理モデルについての知識かもしれません((ここにおいてもフォーマル・モデラーと文章によって理論を表現する研究者との間に対立があるかもしれません)).
 1人の研究者が理論研究もエスノグラフィもというのは難しいので,ここはやはり分業しないといけないと思います.しかし,モデラーの思考とフィールド・ワーカーの思考がうまくかみ合うんだろうか,不安な部分はあります.でも

代議士の誕生

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代議士のつくられ方―小選挙区の選挙戦略 (文春新書)

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はやっぱり政治家の選挙戦略について分析する上で誰もが読む文献であり,それは分析者がラッチョでもフォーマル・モデラーでも一緒だと思うのですが.